教行信証あれこれ

教行信証と御文章

浄土真宗ではお勤めで教行信証にある正信偈をうたったあと、拝読するものがあります。
それは御文章と呼ばれるもので、浄土真宗の中興・蓮如上人によって書かれた「お手紙」です。
蓮如上人とは、全国津々浦々に仏教の真髄である親鸞聖人の教えを伝えられた方です。
「一器の水を一器に移すように」正確に、多くの人々に聖人の教えを弘めた点で、蓮如上人の右に出る方は今日までいないでしょう。
その布教に大きな役割をはたしたのがこの御文章なのです。
御文章は大変易しい言葉で書かれており、当時の人たちはこの御文章を書き写して会合などで拝読していたそうです。
教行信証ではどうしても、理解できない人たちにも、浄土真宗を布教するためには、この御文章が大変役に立っているのですね。
そういった意味では、教行信証はなかなか手がつけられないという方は、まずは御文章から拝読してみるのはどうでしょうか。
また、親鸞会という集まりは親鸞聖人の教えを分かりやすく伝えてくれます。
教行信証が難しいと思われる方は、親鸞会の会員の方に話を聞いてみるのも良いかもしれまえんね。
独学で教行信証を理解することはやはり難しいです。
親鸞会の会員さんのように教行信証のことに精通し、しっかりと把握した人に分かりやすく教えてもらうことが出来たら、これほどありがたいことはないのではないでしょうか。

教行信証と信心

親鸞会さんのサイトで発見した分かりやすいお釈迦様の話の後篇です。
三人の妻を持ち楽しんでいた富豪の男ですが、やがて男が不治の病に伏します。
刻々と迫りくる死の影におびえ、男は第一夫人に心中の寂しさを訴え、死出の旅路の同道を頼みます。
しかし第一夫人は
「ほかのこととは違って、死の道連れだけは、お受けする
ことはできません」
とすげない返事をします。
あれほど可愛がった夫人の返事に男は絶望の淵に突き落とされます。
しかし、さびしさに耐えられない男は、恥をしのんで第二夫人に頼んでみます。
すると第二夫人は、
「あなたがあれほど、かわいがっていたあの女(第一夫人)でさえ、イヤと言ったのだから、私だってまっぴらごめんでございます。
あなたが私を求められたのは、あなたの勝手です。
私から頼んだのではありません」
と、案の定、第二夫人も冷たい返事をしてきたのです。
それでも男は、おそるおそる第三夫人にすがってみます。
「日頃のご恩は、決して忘れてはいませんから、村外れまで同道させて いただきましょう。
しかし、そのあとはどうか、堪忍してください」
と突き放されてしまいました。
ここでいう「男」というのは、すべての人間のことを指しています。
第一夫人とは肉体
第二夫人とは金銀財宝
第三夫人とは父母妻子兄弟朋友などをたとえられたのです。
今まで命にかえて大事に愛し求めてきた、それら一切のものから 見放され、何一つあて力になるものがなかったことに驚き悲しむ、 これが人間の実相なのです。
男はそれまで女たちを信じていました。
人は幸福を求めて、信じて生きているのです。
教行信証の正信偈の中でも信心を唱っています。
信心といっても、必ず裏切られる信心と絶対裏切られない正しい信心とがある。
その違いをしりなさいよと、親鸞聖人が「正しい信心」を歌の形であきらかに
されたのが「正信偈」であると、調べたサイトには書かれてありました。

教行信証と釈迦如来

釈迦の前に仏なし釈迦の後に仏なしといわれますように、この地球上に現れた仏は釈迦ただ1人です。
浄土真宗を開かれた親鸞聖人は『教行信証』で、
「それ真実の教をあらわさば、すなわち大無量寿経これなり」
と喝破なされています。
釈迦一代の教えは真実の経、『大無量寿経』唯1つを説かんがための方便であったのだと断言なされているのです。
そして『大無量寿経』にはすべての人々が本当に幸福に救われる阿弥陀仏の本願のみが説かれているのです。
ゆえに、親鸞聖人は教行信証・行巻の『正信偈』において、
「釈迦如来がこの世に生まれられた目的は、ただ、弥陀の本願のみを説かんが為なり」
と仰せになっています。
お釈迦さまは、阿弥陀仏は本師本仏(先生の仏)と言われています。
そのことを蓮如上人は御文章に「弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師本仏なり」
と書いておられます。
(三世十方の諸仏は大宇宙のすべての仏)
そんな釈迦如来の教えの中にとても面白く、分かりやすい話を親鸞会さんのサイトで発見したので引用させていただきます。
それは、『雑阿含経』に説かれている、「三人の妻」というたとえ話です。
昔、ある富豪な男が3人の妻をもって楽しんでおりました。
男は第一夫人を最も可愛がり、夫人が寒いと言えばいたわり、暑いと言えば心配し、贅沢の限りを尽くさせ一度も機嫌を損なうことはありませんでした。
第二夫人はたいそうというワケではありませんが、それなりに苦労し、他人と争ってまでして手に入れたので、いつも自分のそばにおいて楽しみました。
第三夫人は、寂しい時や悲しい時、困ったときにだけ会い、楽しむ程度のものでした。
さてこの先どうなっていくのか。
続きは次回お話しします。

教行信証とは

教行信証(きょうぎょうしんしょう)とは一体どのようなものなのでしょうか?
教行信証の正式名称を≪顕浄土真実教行証文類≫といい、親鸞聖人90年の教えがこの教行信証の中に納められれているもので、「よろこばしかな」で始まり、「よろこばしかな」で終わっています。
文芸評論家の亀井勝一郎氏は「教行信証全巻には大歓喜の声が響きわたっている」と驚嘆したほどです。
では、その文芸評論家を驚嘆させた教行信証はどのようなものなのかかについてお話しします。
教行信証は、「教巻」「行巻」「信巻」「証巻」「真仏土巻」「化身土巻」の六巻から構成されています。
その中の、「教巻」「行巻」「信巻」「証巻」「真仏土巻」には阿弥陀仏に救われた世界が書かれており、「化身土巻」には、救われるまでの道程が書かれているのです。

教行信証の特徴は、その引用の多さです。
教行信証は、中国、インド、日本のお聖教を縦横無尽に引用されているいるのですが、なぜ引用が多いのかというと、聖人の「親鸞さらに私なし」の精神の表れでしょう。
いかに自分の考えを交えずに正確に釈迦の真意を明らかにされていたのかが分かります。
親鸞証人はこの教行信証で何を言いたかったのでしょうか。
それは「皆の人よ、どうか親鸞と同じ喜びの身に救われてくれよ」という御心に限るそうです。
教行信証を理解することが出来たとき、喜びの身に救われることができるよう、教行信証を一緒にみていきましょう。