教行信証の教巻「夫れ真実の教をあらわさば、則ち『大無量寿経』是れなり」 3

教行信証の教巻の最初には、次のように書かれています。
「夫れ真実の教をあらわさば、則ち『大無量寿経』是れなり」

お経にも方便のお経と真実のお経があるのですね。

真実の経、大無量寿経には「阿弥陀仏の本願」が説かれています。

阿弥陀仏とは、本師本仏の仏、本家本元の仏、ということです。

つまり、お釈迦さまをはじめとした大宇宙の仏方は皆、阿弥陀仏のお弟子、ということです。

弟子の使命は先生の御心を一人でも多くの人にお伝えするだけですから、

真実の経といわれる大無量寿経には、阿弥陀仏の本願一つが教えられているのです。

このことについて、親鸞会で詳しく学ぶことができます。

教行信証の教巻「夫れ真実の教をあらわさば、則ち『大無量寿経』是れなり」

教行信証の教巻の最初に、次の言葉が書かれています。
「夫れ真実の教をあらわさば、則ち『大無量寿経』是れなり」

大無量寿経には、「阿弥陀仏の本願」が説かれています。
阿弥陀仏について、蓮如上人は

「ここに弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師本仏なれば」
と書かれています。

三世十方の諸仏とは、大宇宙にまします、数えきれないほどの仏をいい、
本師本仏とは、先生ということです。

地球にあらわれたお釈迦さまも、大宇宙の仏のお一人ですから、
阿弥陀如来とお釈迦様の関係は、先生と弟子、ということになります。

阿弥陀仏が、師匠・先生

お釈迦様が、弟子・生徒

という関係だったのですね。
ちなみに、大宇宙の仏方の中で有名なのは、

大日如来、薬師如来、奈良の大仏・ビルシャナ如来などです。

教行信証教巻「夫れ真実の教をあらわさば、則ち『大無量寿経』是れなり」

教行信証の教巻に「夫れ真実の教をあらわさば、則ち『大無量寿経』是れなり」と教えてられています。

お釈迦様のご説法はすべて書き残されています。

これを「一切経」といいます。それは7000冊以上の莫大な数のお経です。

その大無量寿経には、阿弥陀仏の本願が説かれています。

本願とは誓願ともいわれます。誓い願われた、ということで、今日の言葉でいえば、「お約束」ということです。

阿弥陀仏という仏さまがなされているお約束を、阿弥陀仏の本願といいます。

では、阿弥陀仏とは、どのような仏さまなのでしょうか?

そもそも、仏とは、どのような方を言われるのでしょうか?

お釈迦様と阿弥陀様は同じ仏なのでしょうか、違う仏なのでしょうか。

これから少しずつ書いていきたいと思います。

教行信証・教巻「夫れ真実の教をあらわさば、則ち『大無量寿経』是れなり」

教行信証の教巻に

「夫れ真実の教をあらわさば、則ち『大無量寿経』是れなり」

と教えてられています。
お釈迦様のご説法を書き残したものを「お経」といいます。
一口にお経といいましても7000巻以上もあります。
お釈迦様の教え一切が書き残されていますので、
これを「一切経」といいます。
その7000巻以上のお経の中で、真実のお経は
「大無量寿経である」
と親鸞聖人は教えておられるのです。

教行信証という言葉

そもそも「教行信証」という言葉はどういう意味なのでしょう?

仏教の基本は、教・行・証

歩くことに例えるならば

「教」とは、目的地

「行」とは、歩くこと

「証」とは、たどりついたこと。

ここに「信」が入っています。

これは未曾有のこと。

しかも、「信」について詳しく書かれている「信巻」こそ、教行信証の眼目なのです。

このことについてはまたの機会に書きたいと思います。

教行信証・後序 (原文)2

教行信証・後序 (原文)2

 慶ばしき哉、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。
深く如来の矜哀を知りて、良に師教の恩厚を仰ぐ。
慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。
 これに因って、真宗の詮を鈔し、浄土の要う。
ただ仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲を恥じず。
もしこの書を見聞せん者、信順を因として疑謗を縁として、
信楽を願力に彰し、妙果を安養に顕さんと。

教行信証(後序)原文 ・1

  ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の 真宗は証道いま盛んなり。
しかるに諸寺の釈門、教に昏くして真仮の門 戸を知らず、洛都の儒林、行に迷ひて邪正の道路を弁ふることなし。
こ こをもつて、興福寺の学徒、太上天皇 後鳥羽院と号す、諱尊成 今上 土御門院と号す、諱為仁聖暦、承元丁卯の歳、仲春上旬の候に奏 達す。
主上臣下、法に背き義に違し、忿りを成し怨みを結ぶ。
これによ りて、真宗興隆の大祖源空法師ならびに門徒数輩、罪科を考へず、猥り がはしく死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて遠流に処す。 予はその一つなり。
しかれば、すでに僧にあらず俗にあらず。このゆゑに 禿の字をもつて姓とす。
空師(源空)ならびに弟子等、諸方の辺州に坐し て五年の居諸を経たりき。
皇帝 佐渡院、諱守成 聖代、建暦辛未の 歳、子月の中旬第七日に、勅免を蒙りて入洛して以後、空(源空)、洛 陽の東山の西の麓、鳥部野の北の辺、大谷に居たまひき。
同じき二年 壬申寅月の下旬第五日午時に入滅したまふ。奇瑞称計すべからず。 別伝に見えたり。

教行信証(別序)原文・2

ここに愚禿釈の親鸞、諸仏如来の真説に信順して、論家・釈家の宗義を披閲す。広く三経の光沢を蒙りて、ことに一心の華文を開く。しばらく疑問を至してつひに明証を出す。まことに仏恩の深重なるを念じて、人倫の哢言を恥ぢず。浄邦を欣ふ徒衆、穢域を厭ふ庶類、取捨を加ふといへども毀謗を生ずることなかれ。

教行信証(別序)原文

それおもんみれば、信楽を獲得することは、如来選択の願心より発起す。真心を開闡することは、大聖(釈尊)矜哀の善巧より顕彰せり。
 しかるに末代の道俗、近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶(へん)す、定散の自心に迷ひて金剛の真信に昏し。

(つづく)

教行信証(原文)総序・2

穢を捨て浄を欣い、行に迷い信に惑い、心昏く識寡なく、
悪重く障多きもの、特に如来の発遣を仰ぎ、必ず最勝の直道に帰して、
専らこの行に奉え、ただこの信を崇めよ。

ああ、弘誓の強縁、多生にも値いがたく、真実の浄信は、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。
もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かえってまた曠劫を径歴せん。
誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。
ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしきかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の
師釈、遇いがたくして今遇うことを得たり。
聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。
真宗の教行証を敬信して、特に如来の恩徳の深きことを知りぬ。
ここをもって、聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。